哲学と数学ー2018年度京大理系数学第4問からー

個別指導塾の講師をしていることは前の記事で書いたが、最近は高校生を担当することが多い。そこで高校数学(数1)を教える機会があった。その子が持ってきた問題は、大学受験レベルでこそないものの、決して低レベルではなく、非常に数学らしい数学で面白かった。

その晩何となく数学がやりたくなり、本棚の奥に眠っていた「大学への数学」を掘り出してきて去年の旧帝大理系の数学の過去問に手を伸ばしてみた。

いやはや面白かった。特に京大理系の第4番はよかった。複素数と確率とを組み合わせた問題だった。概要を簡単に示しておく。

複素数平面上に動点Pがある。問いのリード文に示されたルールに則ると、その点Pは原点を中心とする単位円周上にある、点(1)を頂点の1つとする正三角形の3頂点のうちのいずれかにあり、順次その3点を移動することがわかる。そこで、そのルールに則った操作をn回繰り返したとき、動点Pが点(1)(以下、点Aとする)にある確率を求める。

ちなみにここでの「ルール」とは以下のような感じである。

まず1回目の操作の手順は以下の通りである。

表と裏がそれぞれ出る確率が等しい一枚のコインがある。このコインを一回投げる。もし表が出れば、点Pを、上記の正三角形の頂点のうち、実部が負で虚部が正である頂点(以下、点Bとする)に置く。裏が出れば点Pを点Aに置く。

2回目以降の手順は以下の通りである。なお、上記の正三角形の頂点のうち実部と虚部がともに負である頂点を以下点Cとする。

1回目と同様にコインを一回投げ、表が出れば、動点PがAにある場合Bに、Bにある場合Cに、Cにある場合Aにそれぞれ移動する。裏が出れば、動点PがAにある場合そのままAに、Bにある場合Cに、Cにある場合Bにそれぞれ移動する。

さて、紙面の都合上複素数で表現されていた「ルール」を、できるだけ単純に表したが、こうするとただの確率漸化式の問題に帰着することがご理解いただけると思う。要するにこの問題にとって複素数はイントロのためだけに必要な端役なのである(尤も、この「ルール」の仕組みが幾何的に理解できなければそもそも解けないので、その点でこの問題を解くために複素数の知識は重要になるとも言える)。

ちなみにこの確率漸化式、見た目はいかついが、意外とすぐ解けることがわかると思う。慣れている人なら2分くらいで解答に辿り着くはずだ。然るべき方法で解答する生徒の手を煩わせるような真似をしないところはさすが京大と言うべきである。

ここまでの論理の流れを総括すると、

複素数で表現されたリード文の「ルール」をシンプルな平面幾何上の移動の手順として読み換える。

② その手順に従って、n回操作後に動点Pが点Aにある確率を求めるための確率漸化式を立てる。

③導出した確率漸化式を解き、解答となる確率を求める。

たったこれだけである。一見複雑そうに見える問題が、こうも単純な構造をしているとわかるとき、その構造の荘厳さを見るとき、私は数学の妙を感じる(私は数学に関しては素人なので大きな口は叩けないが)。

そしてこれは何となく哲学に関する長い論文を読み、理解するときの楽しみにも通じるものがあるような気がする。大体の哲学のテクストは見た目がいかつい。それは仕方がないことである。哲学は普遍性(超越性)を志向する学問である。そして普遍性(超越性)は形而上的である。目の前に現れてくれないものを考えるとき、それを語る言葉が親しみにくいものになるのは自然なことではないだろうか。

しかし、文章の構造を透視し、それだけを取り出してくると、案外シンプルであることが多いのである。というより、シンプルで瑕疵がないからこそそれは汎用できる(普遍的でありうる)のであるから、それはむしろ哲学の論文として必要な資質であると言える。それを見出すとき、私はついにその著者の知性の本懐と対面することができる。これほど緊張感に満ちた、それでいて知的に興奮するコミュニケーションが他にあるだろうか。勿論私も本気で彼(彼女)の知性と向き合う。哲学に限らず、本気と本気がぶつかるとき、それは当事者たち、そしてその観衆たち(スポーツの試合を想像してほしい)にとってかけがえのないものになる。

そんな「勝負」に、生を焦がしてみたいと思う私はロマンチスト過ぎるだろうか?