あ、僕「EGOIST」っていうバンドが好きです

僕は塾講師のアルバイトをしている。といっても個別指導塾なので、感覚としては家庭教師に近い。しかし家庭教師と決定的に違うのは、基本的に不特定の生徒さんを相手に授業するという点だ。今日授業する子がどんな子なのか、実際に会うまではわからない。

この緊張感はそんなに嫌いじゃない。十人十色とはよく言ったもので、なるほど世の中はこんなに個性豊かな子供たちで満ち溢れているのかと感心してしまう。その子はどんなことを考えながら問題と向き合っているのか。その子は今何がわからずに悩んでいるのか。そして、その子は何が分かればもう一歩先へ進めるのか。それぞれの答えを会話の中から引き出しつつ、彼らが自分の手でその壁を壊せるように助力する。もちろん上手くいくことばかりではないが、半刻前までは全く歯が立たなかった問題をスラスラと解いてみせてくれると、こちらまで「よっしゃ!」と思ってしまう。

こういう仕事も悪くはないのかもしれないが、今の僕には少々荷が重すぎる感がある。彼らのことを本当に理解し、共感してともに進むには、僕はいささか自己中心的すぎる。確かにこの仕事に楽しみを覚える瞬間もあるが、数学を解いている際中に天啓を得る瞬間に比べてしまえばちゃちいものだと思えてしまう。結局僕は僕のためにしか動けない。他人を自分の論理の中でしか理解できない。だから僕は、(少なくとも今の僕は)絶対に医者や教師になってはいけない人間だ。

図らずも、そんな僕のことを好いてくれる友人が周りにたくさんいることには感謝せねばなるまい。僕はそんな大層な人間ではない。決してない。誰かのために行動しようなどということは、自分の不利益になってもいいからと他人のために尽くすことは、おそらく僕にはできない。僕が多くの人と違う点があるとすれば、その区別(自分にとっての損得を基準に行動すること)が極めて厳格であるというところだろう。だからサークルにも入らなかった。交友関係を幅広いものにすることと、自分の勉強を頑張ることとを比較したときに、どちらが自分にとって有益かは僕にとっては自明だったからだ。(もちろん興味のあるサークルがなかったというのもあるんだが)

そして僕は学部でトップの成績をとり、高額の給付型奨学金を受け取った。しかし全く達成感がない。そもそもそんなに頑張った訳でもない。大学の授業に関しては、ただやるべきことをやっていたに過ぎない。大学は学問の場だ。学問を修める気がないならとっとと就職した方がいい。少なくとも「受験が終わったら遊べる」と考えるのは絶対に間違っている。大学入試は、あくまで大学での勉強で最低限必要な基礎を問うものに過ぎない。だからそれに通過したからといって安心していい訳では決してない。むしろその基礎を実のあるものにすべくより一層勉強すべきだ。実際僕は今間違いなく去年(受験生のとき)より勉強している。僕の今の成績がトップなのは僕が優秀になったからというより、周囲が勉強しなくなったからだと言うべきだ。そしてそんな環境でトップになっても虚しいだけだ。だからもうそんなことにはこだわらないことにする。

じゃあ何をするのか。勉強は好きだ。圧倒的にこれ以上なく自分の生を豊かにしてくれるから。しかしこのままでは駄目だ。このままだと僕は一生自分の考えの外にたどり着けない。要するに僕は、他人を心から理解し共感できるようにならなければならない。クリスマスにディズニーに行って思い出を作るカップルのような、そんな彼らのような心根を範としなければならない。そんなことを漠然と考える日曜の夜。寒過ぎて足元のヒーターには無理をさせてしまう、そんな12月の夜。